2017年11月27日月曜日

写真撮れば良かった

昨日『かぜ博』から帰宅したら
玄関先にスーパーのポリ袋3つに
何かがギッシリ入ったものが置かれていた。

きれい好きな旦那が
ぐうたらな私がなかなかやらない
落ち葉掃きをしてくれたんだと思っていた。

旦那「蟻の薬買ってきて!」
私 「蟻?なんで今頃?なんか湧いていた?」
旦那「蜂の巣を取ったんだけど
    蟻がたからないようにさ。」
私 「え?あなたが蜂の巣を取ったの?
   ていうか取れたの?業者じゃなくて・・・w(゚o゚*)w」
旦那「できたけどさ… すげ~大きくて大変だったよ。
    玄関にあっただろ?アレだよ。」
私 「え?落ち葉じゃなかったんだ。ちょっと見てくる!!」

改めて見ると・・・凄い!本当に全部蜂の巣!!
知らない間に、どんだけ大きなミツバチの巣ができていたんだか。
蜂も蜂の子も卵も何もなくて
キレイなハニカム構造の
薄いレモン色したものが何層も何層も…
あまりにもキレイで美味しそうだったから
「甘いのかな?」とちょっと齧ってみたくなったけど
蜂退治の薬をさんざん撒いたことを思いだし
そこは我慢。(我慢なのか???)
しばし眺めて、袋を閉めた。
後から思えば、写真撮っておけば良かったな。
本当にキレイだったよ。

西側のベランダの下
雨どい脇の隙間からベランダの内部に
今年の夏、蜂の巣ができていたんだな。
たくさんミツバチが生まれて育って
大スズメバチに襲われて滅びて…

・・・・・・・

蜂の巣は片づけてくれたけど
落ち葉は掃いてくれなかったので
ゴミ捨ての前にやって
蜂の巣と共に捨てました。

2017年11月26日日曜日

祝かぜ耕士博覧会再開(第7回目)

私の青春時代の憧れのDJだったかぜ耕士さん!
(なんと言っても声がステキなのと知性と品性溢れる話題の豊かさ!
 かぜさんに鑑みて自分の考えをまとめていた学生時代…)
今でも現役バリバリで『エフエムさがみ』でDJをなさっていらっしゃる。
約4年前にギラン・バレー症候群を患い、入院加療のため
しばらくお休みされていた時期もありました。
でも1年程で復帰され現在に至る・・・という流れなのですが
やはり途中途中で、リハビリだとか
病気の後遺症を治す手術だとかありまして
ラジオは続けてこられましたが
『かぜ耕士博覧会』略して『かぜ博』は半年程お休み。
しかし、本日めでたく再開いたしました O(≧∇≦)O イエイ!!

『かぜ博』とは… かぜさんがラジオでは語りきれない
あんなことやこんなこと(決して放送コードに引っかかる事ではない)を
資料やパワポで表現披露していただき共感するというか…
ちょっと講演会みたいですが、もっと交流のある場? 
大学の講義みたいな感じの場… です。
 第1回『B面のスターたち』
 第2回『がきんちょスターたちの今昔』
 第3回『踊りだしたくなる映画』
 第4回『愛と憎しみの伝説 親子』
 第5回『歌が変えた人生』
 第6回『アカデミー賞』

で、今回の第7回は『映画は顔で見る男優編 その1 アラン・ドロン』

昭和の人ならその名、その顔を知らぬ者はいない!!…と思うスター。
ハンサムという単語は彼のためにあると言っても過言ではない…と思うスター。
私が子ども(小学生)だった頃に「外国の俳優さんで知っている人は誰?」と
訊かれたら、多分1番初めに出てくる名前はアラン・ドロン。
(あとはチャールズ・ブロンソン。マンダムのCMの影響)
顔と名前が完全に一致する外人のスターの筆頭は、なんと言ってもアラン・ドロン。
思わず熱く語ってしまったが、コレは、私の意見であります。
さて、こんな薄っぺらな私のアラン・ドロン論は置いといて…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アラン・ドロンは1935年生まれのフランス人俳優。
1940年代はジャン・マレー、50年代はジェラール・フィリップ
そして60年代は彼、アラン・ドロンが
フランス映画界を代表する二枚目スター:美の表現者だった。
マレーは『感性』、フィリップは『知性』、ドロンは『野心』の美を司っていた。

幼少時にいろいろあり、グレたり軍隊に入ったりとあったが
カンヌ映画祭の場でブラブラしているとアメリカの監督からスカウトされ
すぐに契約…まで行ったが「自分はフランス人だからフランスで勝負したい」
と返事をして破棄。 『女が事件にからむ時』(1957)でデビューを果たす。

翌年『恋ひとすじに』(1958)で共演したロミー・シュナイダーと恋仲になったが破局。
この時の彼は、当時大女優の誉高かった彼女を利用していた…と言われたが
彼女の故郷:ドイツでの彼女に対するバッシングから守ったり
後に(他の人と)彼女が結婚・出産・離婚・息子の事故死… の時
息子さんの葬儀を手配し、更に彼女自身の葬儀の際も手配をした。
多くの恋の噂が流れた彼だが、生涯で愛した女性は3人しかいず
その1人であるロミー・シュナイダーには最期まで付き添い誠実を見せた。

アラン・ドロンと言えば『太陽がいっぱい』(1959)。
トミーは金持ちの道楽息子:フィリップを連れ戻すように
フィリップの父親から言われて付き添ってはいるが
なかなか任務が果たせない。
そしてトミーは… と物語は展開するのだが
フィリップから疎まれるトミーをアラン・ドロンが演じる。
物語からそこはかとなく漂う、どこか怪しげな危険な香り…
それは監督:ルネ・クレマンの影もあるのだろう。
とにかくこの作品で彼は一気にスターダムにのし上がった。

『若者のすべて』(1960)
監督はルキノ・ヴィスコンティ。
レナート・サルヴァトーリやクラウディア・カルディナーレ等
豪華なキャストとの共演!

『地下室のメロディー』(1962)
ジャン・ギャバンとの共演。
この時の彼はチンピラ役を好演。
『黒いチューリップ』(1963)では一人二役(兄と弟)を演じた。
また、この頃にナタリー・ドロン(当時はまだドロンじゃなかったが)と
出会って(子どもができたから?)結婚した。

1964~1966 とハリウッドに進出し
5作ほど出演したが、またフランスに戻る。

『サムライ』(1967)で奥さんナタリー・ドロンと共演。

『あの胸にもう一度』(同年)では大学教授を演じる。
この映画は彼の男の色気も人気だったが
全裸に黒のバイクスーツ姿(峰不二子のモデル)の
マリアンヌ・フェイスフルに魅了された人が多かった…はず。

『シェフ』(1968)や『栗色のマッドレー』(1970)で
共演したミレーユ・ダルクと恋仲に。
(奥さんとは…別れました。)
籍は入れなかったけれど生涯のパートナーとなった。

『レッド・サン』(1971)では
三船敏郎やチャールズ・ブロンソンとの共演で日本でも大人気!

『高校教師』(1972)は、かぜさんが大好きな映画5本の中の1本らしい!

『アランドロンのゾロ』(1975)では
珍しくアクション系を演じるアラン・ドロン。

『エアポート’80』は1979年に製作されたが
上映されたのが翌年だったので邦題はこうなった。
コンコルドを操縦する機長はもちろんアラン・ドロン。

そして…
80年代位から彼の出演する映画は日本では上映されず
ビデオで…みたいな形が多くなった。
また、彼自身が監督・主演を務める映画も多くなった。

そして…
『ハーフ・ア・チャンス』(1998)で映画を引退宣言。
代わってテレビドラマでは
『アラン・ドロンの刑事物語』『刑事フランク・リーヴァ』で
2000年代前半に活躍した。

そんなアラン・ドロンに憧れたかぜさんは
彼がCMしていたダーバンのコートを買い
長いこと愛用していたとのこと。
香水(SAMURAIとか)は使わなかったのかしらん…

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会場(日暮里のプロモボックス)の都合で
後半は巻いて巻いてのお話となりましたが
今回も充実した内容でした。

次回(1月末?)は
クリント・イーストウッドか
ロバート・レッドフォードのお話の予定。

また足を運びたいと思う。

2017年11月25日土曜日

祝創立70周年

いつぶり?…な書込み(^^;;

今日は息子たちが通った中学校の70周年記念式典に出席した。
私は地元の人ではなく、それこそ息子たちが中学に
入学する数年前に越してきた新参者だったのだが...
縁あってこうして式典に声をかけられるようになった。


大山街道の宿場町として栄えていたこの地には名家も多く、
(昭和)天皇が(皇太子時代に)立ち寄られたということで
自治会名や名跡等に名残を感じられる。
思い返せば、越してきたばかりの頃、不慣れなこの地で
『町の名跡を歩こう』みたいな町内会の催しがあり
子ども連れで参加し、上記のような歴史に触れると共に
皆が地元を愛し誇りに思っていることを知ったのでした。
そして、一緒にこの町を住みよい所にしていきましょう!
というような感じが大変心地よかったのを覚えている。

中学校は(当時は)4つの小学校区から成っており
広い学区で学生も多かった。で、教室も校庭もパンパン。
部活は文科系もスポーツ系もとても盛んで
今でも不思議に思うのだが、あんな狭い校庭
それも2,3の部活で分かち合いながら使っているのに
なんで陸上部は毎年全国大会まで出場できるのだろう…
決して恵まれている環境とは言えないかもしれないけれど
そんな環境の中でいつの時代も一生懸命に
先生方も生徒たちも地域の愛に包まれて歩んできたのだな
と、今日の式典でしみじみ思った。

式典の中で和太鼓の演奏があったが、
全国大会や世界大会で1番を取ったという卒業生たちの顔は
とても誇らしく輝いていた。

約20年この地で過ごすうちに、私もこの地を愛する
そして地元の子ども達を見守ることに誇りを感じる仲間に
なれたのかな…と思った式典でした。

2017年11月17日金曜日

嘘のような本当の話

先月末頃にコーラスのボランティア公演があり
私はその日、抜けられない会議があったから欠席したが
その時に話がまずあったらしい。

で、パートリーダーさんから欠席した私宛に
メールでこんな連絡が来た。

「来年5月7日より約1週間、
 カーネギーホールでの演奏予定。
 出番は5月9日、説明会が11月17日
 ・・・・云々」

初め、サントリーホールとかNHKホールの
間違いかなにかだと思った。
もしくは”日本の”自称?カーネギーホール。
大体、一体なんでカーネギーホール???
そして何のためそこまで行って歌うのか???

全く知らなかったのだが
東日本復興支援と日米親善を兼ねた合唱祭が
2011年から毎年NYで開催されていて
日本とアメリカの合唱団が歌を歌い
募金活動をしているのだ。
で、私たちのコーラスの指揮の先生が
今回、日本合唱指揮者協会から推されたらしい。
先生は府中芸術の森劇場を立ち上げた方。
地元でも3~4合唱団をもっていらっしゃる。
縁あって横浜外れの私たちの所まで
教えに来ていらしているのだが…
えぇぇ~~~!!! 
そこまで凄い先生だったとは。

しかし、待て待て。
5月のGW明けの時期は正直仕事がキツイ!
4月に新入生がたくさん来て
約1ヶ月たって中途半端に慣れてきて
そろそろ地が出て危なくなる頃だし
いろんな書類提出期限が大体5/10だし
お金もかかりそうだし…
初めは「無理!ダメ!!」と思っていた。
しかし旦那に
「ちょっと聞いてよ~!
 あのね、カーネギーホールで歌わないかって
 話が来ているんだけどさ… 凄いけどおかしくない?」
と話してみたら
「行けばいいじゃん!行かないの?」
「だって仕事が超忙しい時期だし…」
「休めないの?休んじゃいけないの?
 せっかくだから行けばいいのに…」
「え?でも、結婚式の直後だし…」
「関係ないじゃん!結婚式終わった後だろ?」

なんか旦那に説得されてるというか…
『本当は行きたいんじゃないの?』という気持ちが
だんだん素直になってきたというか…

そんな訳で、行こうかなと思う。
職場のスタッフに伝え
職場の上司や学校関係者に伝え
役員を今2年目請けていて、
来年度も継続予定だったが
これは外してもらおうと掛け合って…

12月26日までに申込みすれば
約2万円安くなる予定。


2017年11月13日月曜日

♪ジャン ジャ~ジャ ジャ~ン♪

長男はいつも突然に連絡する。

長男「あ、おかぁ?俺だけど・・・」
(なんかオレオレ詐欺みたいな出だし)
私 「何?また遊びに来るの?」
長男「それもあるけど、来年式を挙げるから!」
私 「え?来年?いつ?どこで?」
長男「5月3日で横浜の中華街の方」
私 「わかった。ちょっと待ってて!
   あ~な~たぁ~~~~!!
   長男が来年結婚式するって!!」
旦那「なに、やっと式をする気になったのか。
   どこでだ?・・・・・ うん。わかった。」
私 「で、いつ遊びに来るの?」
長男「13日の月曜はダメ?」
私 「ダメもなにも…その日の夜、頑張って空けるわよ!
   あなた、13日の夜、長男家とご飯よ。
   早く帰ってきてよ。」
旦那「わかったから、二男にも声かけろよ。」
私 「もちろん。」
長男「じゃ、おとんとおかぁ、13日に!」

・・・・・・・・・

で、13日の夜、
我が家はとっ散らかっているので
近所の中華料理屋で会食。
二男は残業から抜け出せず来られませんでしたが
式場のパンフを見せてもらったり
親戚はどこまで声かけるかとか相談したり…

チャペルで式を挙げ 打掛で披露宴だそうです。

2017年11月11日土曜日

すぎの子まつりだよ!全員集合

PTA主催のお祭りが
毎年11月中旬頃に開催される。
私たちも毎年”無料”で
工作教室的なブースを設けている。

今年は…というか、今年も
 ・松ぼっくりで作るクリスマスツリー
 ・ストロー竹とんぼ
 ・ぱたぱたカレンダー
の3つを作れるコーナーを設けた。

在校生も来るが卒業生も顔を出して
「まだやっているんだぁ~!」と
懐かしがり「やってもいいですか?」と
久々に工作したりする。

未来の小学生も保護者と共に参加して
「どうもありがと!」と元気にお礼を言って
バイバイしてくれたりすると感激する。

10時から14時まで開催して…お開き。

来年は何をしようかな。