2009年6月10日水曜日

旦那の実家

ちょっと、自分語りなど…

社内&課内&同期で結婚した自分…
でも、相手の実家はT社系列の
町の電器屋さんだった。
(訂正:光速エスパーの看板はT社でした!)

元は越後の縮緬問屋(なんか悪いヤツみたいね)で
その後写真屋をしたり、雑貨店をしたりしていたが
町中に電気が通った頃、電気の免許を取って
電機店を開業したそうだ。
そのうちに当然、家電も売るようになった。
電線を引いたり、アンテナを立てたり、テレビを付けたり…
開業したばかりの時は、むちゃくちゃ忙しかったそうだ。
町内にウチともう1店しかなかったのが
次第に増えたり、量販店もできたりして
私が嫁に来た時は、開店休業状態だった。
それでもご近所の商店街の方々からは
「テレビの写りが悪いんだけど」とか「電球が切れた」等
なにかと電器でお困りの時には声をかけてくださった
そんな存在であった。
「ビデオデッキを買ったはいいが、使い方がわからない」と
他店でお買い求めの品にも、フォローに行った。
多分こういう場合、『出張費』を請求しても良いのだろうけれど
ウチは全くそういうものは求めてなかったと思う。
だから、ちょぼちょぼ忙しいわりには儲からないというか(^^;
ほとんどボランティアな営業をしていた。
郊外の小さな博物館の電球は、我が店のお得意様だった。
多分、量販店で買った方がずっと安いとは思うのだが
ウチは電球の交換作業もするので、長いお付合いとなっていた。
でも何ヶ月かに1度、電球数個なので儲けにはならない。
ご近所とのつながりで生きていたというか、そんな感じ。
だから、夏と年末に行う、商店街の福引セールの時も
暇なウチの店が福引会場になるのが常であった。
それはそれで、とても楽しい仕事だった。
でも、2年前の中越沖地震で家が全壊して… 廃業した。

一応、アパートや車庫貸しもしていて
昨近の収入はそれが主になってはいたけれど。

酒屋さん、和菓子屋さん、八百屋さん、薬屋さん、豆腐屋さん、
畳屋さん、時計屋さん、魚屋(兼割烹)さん、床屋さん…
盆・暮・正月くらいしか帰省できていないが
それでも、私は旦那の実家のご近所さんに
「○○電器屋の奥さん」と知られている。
旦那の実家で二人の息子を産んだし、認められたのだろう。
帰省するたびに、商店街で買い物をするので
覚えられているのだとも思うし、自分も覚えたし。

旦那が定年退職したら、田舎に帰って電器屋を継ぐんだと
ずっとそう思っていたから… 廃業の話は寂しかった。
でも、確かに我が家の電器屋は、なくなっても
誰も困らないというか… 他にもいっぱい電器屋はあるし。
地震を境に、廃業したお店は他にもいっぱいある。
ただね、お店は廃業したけれど、
つながりはなくなって欲しくないな。

隣りの酒屋さんの奥さんは「あなた、いつ戻ってくるの?」と
私のことをいつも心待ちにしてくれているし
向かいの和菓子屋さんや、はす向かいの八百屋さんもそう。
そんな風に自分を思ってくれている方が多くいるのが
本当に嬉しい。

実は、地元の神社の役員やお寺の檀家筆頭でもあって
そういう地元とのつながりも引き継ぐのだが
神社の方は、もう切れたようだ。(役員を降りた)
あの、厄払いの人形(ひとがた)を作る作業って
結構楽しかったんだけれどなぁ…
外注に出したり、既製品を買うとお金がかかるから…って
我が家が内職して作っていたんだけれど。
もう、しなくても良くなっちゃった…というか
お金を払って、作業の負担を減らそうとしているのが今らしい。
寄進されたお金は極力使わずに、改築工事とかのために
取っておこうと考えていた義父は、大ケチとみなされて
それが元で、十数年前役員をおりたそうな。
でもって… せっかく貯めたお金も、
使うことに異議を唱える人がいなくなったから
あれよあれよと減ったらしくて、地震で神社が壊れたけれど
建て直す資金がほとんどないそうだ。

お寺の方は…檀家筆頭から抜けられない。
お布施も、筆頭だからきばらないといけないようだ。
ん~… 自分の家の再建も大変だったのに
お寺の心配もせなあかんのが、筆頭の辛いところだ。

旦那は「俺は、家を継がないからな!」と言っているけれど
そりゃあ無理でしょう。
多分、旦那以上に地元の事情通になってると
なんとなく自負している自分だったりして。

4 件のコメント:

あなぐま さんのコメント...

りみっとさん、こんばんは。
私のブログのせいで、色々考えさせてしまわれたら謝ります。
りみっとさんも、自営業の悲哀を味わっていたのですね。しかも電気屋さんだったのですね、以前のNHK朝連「ひとみ」で、前田吟演じる電気屋さんが廃業して閉店してゆくシーンがありましたけど、あの時の菅井きんさんとの語りが忘れられません、覚えておいでですか?りみっとさんのご実家もちょうどあんなだったのでしょうね。

私のブログでよく書く弘明寺商店街も、廃業が相次ぎ、廃業した場所に大手のチェーン店が入るので形は保っていますが、昔の友達はほとんどいなくなってしまいました。私の個人的感傷はともかく、日本の将来が不安です。

それから越後の縮緬問屋は悪いヤツじゃなくて、水戸黄門の仮の姿ですよ。

LIMIT さんのコメント...

あなぐまさん、おはようございます。
勘違いは誰でもあることです。

『瞳』の電器屋さん~♪
笹野さんが店主で須賀くんが息子さん
(ずいぶん歳の離れた親子)でしたね。
「俺がこの町を明るくしたんだ!」と
誇りに思っているところなんか
まさに夫の実家そのものでしたよ。
雑貨店を経営していた時(明治?)に
ランプを売っていたそうです。
で、ランプから電気に替わって…電器屋に。
新美南吉の『おじいさんのランプ』だと
ランプ屋を廃業して終わってますが
旦那の実家は電気の流れに自ら乗ったのです。
誰よりも早く…
丁寧で早くて正確な仕事をモットーに、
とても真面目に商売してました。
でもね… いつしか流れから逸れてしまったというか…

旦那の友人は、けっこう地元に残ってますが
お店屋さんの人って、元々少なかったみたい。
それでも写真屋さん、時計屋さん、お医者さんの友人は廃業してます。
こちらの商店街はシャッター通りというか
シャッターじゃなくて雨戸!ですね。
錆びれた看板はそのままで…
地震を境に、キレイに建て変わった家も多数です。
お年寄りが一人で住む家が多くなって、
商店街は寂しくなるばかりだし
欲しいものが買える店がどんどん減って
そんなものを買うにはバスや車を
使わなくちゃならないし…
元気なお年寄りならいいけれど
そうじゃない方は、本当に大変だと思います。
ヘルパー業が急に増えた気もするけれど
どうなんだろうなぁ…

越後の縮緬問屋は、水戸黄門の仮の姿!
そうだったわ(^^;
「越後屋。ソチも“悪”よのぅ」の
越後屋と勘違いしてました。

永遠 さんのコメント...

今年も、当地に初夏の訪れを告げる風物詩、
大きな市、の立つ日がまもなくやってきます。

小さな町のメインストリートには500以上の露店が軒を連ね、僕自身、子どもの頃からその日が来ることを一番の楽しみに待っていたように思います。

一方、
あの地震から3年が経とうとしています。
実は、家内の誕生日がその日なのです。

その日もまた、まもなくやってきます。

LIMIT さんのコメント...

永遠さん、こんにちは。
返信が遅くなりました。ごめんなさい。

そうですか、もうそんな季節…
あの祭りの山車も少なくなったそうですね。
以前はどこの町内会(子ども会)も競って
山車作りに精を出していたそうだけど
作る人がいなくなったそうで(;;)
もうなくなった家屋の納戸に
使わなくなった山車の気に入った部分を
けっこう保管していた我が家です。
(だからガラクタ?がいっぱい)

義父の誕生日が地震の前日です。
地震は連休の最後の日でしたよね。
うちの町内はお年寄りの多い地域ですが
里帰りしていた家族のおかげで
ご近所のお年寄りの方々は皆無事に
救出されました。
本当に不幸中の幸いでした。

あれから、3年目になるのですね…
亡くなられた元K高の先生は
旦那の担任でもあり部活の顧問でも
あったそうな…